人陣営
前田まつ (まえだ まつ) |
石川県 (加賀・能登) |
前田利家の正室。 利家の従妹であり、十二歳で嫁ぐと二男九女をもうけた。 豊臣秀吉の妻ねねとは尾張時代から仲が良く、秀吉夫婦に娘の豪姫を養女として送り出した。 利家死後に前田家謀反の風聞が立った際、自ら人質となって徳川家に赴き前田家の危機を救った。 |
蘆名盛氏 (あしな もりうじ) |
福島県 (岩代・磐城) |
蘆名家当主。会津黒川城主。 北条氏康や武田信玄と同盟して佐竹義重を圧迫し、田村・二階堂らの国人衆を従属させた戦略家。 会津・仙道地方から越後蒲原郡まで勢力圏を広げた。 内政では梁田氏を商人司に任じて商業を振興し、蘆名家の全盛期を築いた |
竹中半兵衛 (たけなか はんべえ) |
岐阜県 (美濃・飛騨) |
斎藤家家臣。美濃菩提山城主。 二十一歳の時稲葉山城を十六人で奪取して主君・龍興を放逐した天才軍略家。 やがて城を返還し隠居したが、秀吉の勧誘で織田家に仕官。 秀吉の寄騎となり、穏和な物腰で近江諸城の調略や三木城包囲などの作戦を指導、成功に導いた。 |
北条氏康 (ほうじょう うじやす) |
神奈川県 (相模) |
北条家当主。 古河公方や関東管領、国人衆など関東の旧勢力を打倒・掌握して支配圏を拡大。 「相模の獅子」と呼ばれ、小田原城は謙信の大軍をも退けた。 民政家として戦国随一で、文書による先進的な官僚制を導入、税制改革による民の負担軽減などの業績を残す |
加藤清正 (かとう きよまさ) |
熊本県 (肥後) |
豊臣家家臣。 秀吉の親戚にして子飼いの将、通称虎之助。 賤ヶ岳の合戦や九州征伐、文禄・慶長の役などに華々しく活躍。 慶長地震の折、謹慎を破って秀吉の救出に向かい「地震加藤」と称された。 肥後一国を領した築城・治水・干拓の名手。日蓮宗を篤く信仰した |
十河一存 (そごう かずまさ) |
香川県 (讃岐) |
三好家家臣。三好元長の子。 讃岐十河城・和泉岸和田城主。腕の負傷に塩を塗り藤蔓で縛って戦い続けた猛将。 父の仇・三好政長を討ち取り、細川晴元や畠山高政を撃破して追放するなど畿内で武威を揮う。 その勇名は後世の江戸庶民にまで語り継がれた。 |
佐々成政 (さっさ なりまさ) |
富山県 (越中) |
織田家家臣。 織田信長の小姓として仕え、佐々家の家督を継ぐと信長の親衛隊ともいえる黒母衣組の筆頭に選ばれた。 信長が勢力を全国に拡大しはじめると柴田勝家の与力として北陸方面を担当。越中富山城を本拠地に活躍した。 |
- 最終更新:2012-05-26 00:39:29