幻魔陣営

高坂昌信
(こうさかまさのぶ)
山梨県
(甲斐)
武田家家臣。別名春日虎綱、通称弾正忠。
甲斐の豪農・春日家に生まれ、信玄に登用される。
近習、使番を経て侍大将、宿老へと昇進。信濃の名族高坂氏の名を賜った。
攻守に優れた名将で、信濃海津城・小諸城の城代を務めた。
「甲陽軍鑑」は彼の著作とされる。
太田道灌
(おおたどうかん)
東京都
(西武蔵・小笠原)
扇谷上杉家家宰。
武蔵江戸城・岩槻城・河越城を築いた。
主君定正や堀越公方の命を受けて、駿河から上総まで生涯三十余度の合戦を戦った。
特に長尾景春の乱をほぼ独力で鎮圧し英傑の名を高めたが、警戒した定正により暗殺。
最期に「当方滅亡」を予言した。
宇都宮広綱
(うつのみや ひろつな)
栃木県
(下野)
下野宇都宮家当主。
六歳の時、父・尚綱が那須高資との合戦で敗死したため芳賀高定に守られて落ち延びる。
九歳の時高資を、十五歳で芳賀高照を討って仇討ちを果たした。
上杉謙信や佐竹義重と同盟して北条家に対抗したが、生来病弱のため三十七歳で世を去った。
尼子晴久
(あまご はるひさ)
島根県
(出雲・石見・隠岐)
尼子家当主。月山富田城主。
出雲・隠岐・因幡・伯耆・備前・備中・備後・美作の8ヶ国の守護。
大内義隆、のち毛利元就の好敵手であり、戦場では互角以上の戦いを繰り広げた。
だが元就の謀略にかかって勇将尼子国久率いる新宮党を滅ぼし、尼子家の衰退を招く。
成田甲斐
(なりた かい)
埼玉県
(東武蔵)
武蔵忍城主成田氏長の娘。
小田原の役で城主不在の忍城に籠り、従兄の成田長親を助けて勇戦敢闘、豊臣軍から城を守りぬいた。
戦後蒲生家に預けられた後、家臣の謀反に遭うがただちに鎮圧。
これが秀吉の目に止まって側室に迎えられ、父も大名に取り立てられた。
大内義隆
(おおうち よしたか)
山口県
(周防・長門)
大内家当主。
周防・長門・豊前・筑前・安芸の守護。北九州で少弐氏を圧倒し、龍造寺氏や松浦党を傘下に組み入れて貿易を拡大。
一方中国では安芸守護武田氏、厳島神主友田氏を滅ぼすが尼子晴久に敗北。
以後山口にて文治に傾倒し陶晴賢の謀叛を招いてしまった
宇喜多直家
(うきた なおいえ)
岡山県
(美作・備前・備中)
宇喜多家当主。もと浦上家家臣。
祖父能家を主君に誅殺された身で仕え、同輩や親戚である浦上家臣を次々と陥れて滅ぼし、領地を奪う。
さらに主君を追放し三村家親を暗殺するなど、その非情な策謀は実弟の忠家でさえ護身の甲冑を着込むほど恐れられた
徳川家康
(とくがわ いえやす)
愛知県
(尾張・三河)
徳川家当主。征夷大将軍。
今川家の人質として元服・婚姻したが、桶狭間の戦い後独立。
織田信長と結び、三河武士を率いて武田信玄らの名将と戦い抜いた。
豊臣政権下を“狸親父”と称された政治手腕でしのぎきり、徳川幕府を樹立して戦国乱世に幕を引いた人傑。






  • 最終更新:2012-06-22 21:08:35

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